ピラミッドテキスト その3
古代エジプト語は、今ですと珍しいVSO型の言語でした。
つまり、動詞、主語、目的語、の語順です。この基本的な語順は、めったに変わらないという、語順に関しては厳格さを持っていた言語です。
ところが、ピラミッドテキストは、所謂「供養文」ですから、王が文のアタマに来たりします。
で、迷うのが、一番アタマにオシリス神、次にウナス王など王のカルトゥーシュがあったりする箇所です。
この神の名と王の名は、どちらも、当然ながら名詞です。
「オシリスたるウナスよ」
のように訳されます。つまり、呼びかけだ、と。
ただ、間には何も言葉が入ってないんです。
「たる」に相当する部分が無い。
「オシリス・ウナスよ」のように逃げた訳もありますが、翻訳は意味が伝わらなくては、それこそ意味がないのです。
それは、古代の言葉であっても、それが言語だからです。
誰かから誰かに伝えるコミュニケーションの手段だからです。
もし、供養文だとすると、たいてい主語に相当するのは王で、王がオシリスに貢納します。
すると、「オシリス」までが呼びかけで、「ウナス王」からが主文かもしれません。なにせ、切れ目がわかんないんですよヒエログリフは。
オシリス様、ウナス王は与えます。あれやこれやを。
これが、割と一般的な供養文の定型なんですね。
「オシリスたるウナスよ」
にすると、動詞の次に主語相当のものがこないとおかしいわけです。
でも、神に与えるのが王じゃないとすると、誰が誰に与えてるかわからないんです。
誰かがオシリスたる王に与えてるなら、その誰かを主語にしないと。
やはり、貢納する主体は王であり、オシリスと王が一体化してるというのは、違うと思うんです。
つまり、動詞、主語、目的語、の語順です。この基本的な語順は、めったに変わらないという、語順に関しては厳格さを持っていた言語です。
ところが、ピラミッドテキストは、所謂「供養文」ですから、王が文のアタマに来たりします。
で、迷うのが、一番アタマにオシリス神、次にウナス王など王のカルトゥーシュがあったりする箇所です。
この神の名と王の名は、どちらも、当然ながら名詞です。
「オシリスたるウナスよ」
のように訳されます。つまり、呼びかけだ、と。
ただ、間には何も言葉が入ってないんです。
「たる」に相当する部分が無い。
「オシリス・ウナスよ」のように逃げた訳もありますが、翻訳は意味が伝わらなくては、それこそ意味がないのです。
それは、古代の言葉であっても、それが言語だからです。
誰かから誰かに伝えるコミュニケーションの手段だからです。
もし、供養文だとすると、たいてい主語に相当するのは王で、王がオシリスに貢納します。
すると、「オシリス」までが呼びかけで、「ウナス王」からが主文かもしれません。なにせ、切れ目がわかんないんですよヒエログリフは。
オシリス様、ウナス王は与えます。あれやこれやを。
これが、割と一般的な供養文の定型なんですね。
「オシリスたるウナスよ」
にすると、動詞の次に主語相当のものがこないとおかしいわけです。
でも、神に与えるのが王じゃないとすると、誰が誰に与えてるかわからないんです。
誰かがオシリスたる王に与えてるなら、その誰かを主語にしないと。
やはり、貢納する主体は王であり、オシリスと王が一体化してるというのは、違うと思うんです。
2013-10-31 20:17
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