パレルモストーン解読について [つぶやき]

パレルモストーンは、そもそも刻まれたヒエログリフがどのヒエログリフなのかという、「見た目の判断」が、ごく一部の人間に委ねられたままで、検証されていないことが問題としてある。


これは例えば古事記で使われている字を読み間違えているようなものだ。
このブログの一回目のジュディで撮影した通気孔内のヒエログリフの解釈と同じだ。あれなど、ヒエログリフとしてすら認識されていない。


次なる問題は、書かれた内容を「わけのわからない訳」のまま放置してあることだ。


「結局意味がわからないんです」という意図がこもってしまうのだが、その半端な訳は、2つの意味で混乱を招く。


一つは、正誤はともかく、はっきり訳出されていないので「いろんな意味に受けとれる」ということである。たとえ誤りだったとしても、はっきりしていれば、判断しやすい。ところが、何種類にも受け取れる書き方だと、検証のための選択肢が拡大しすぎる。


次に、史料への疑いが生じることだ。例えば、パレルモストーンに記載された戦果としての家畜の頭数は、「当然盛ってある」と言われたりしているが、それこそ本当かどうかはわからないのだ。パレルモストーンが事実を正確に記録しているという信頼感がないから、そのような解釈も生まれやすくなる。


私は、こういう考え方をしている。「筋の通らない訳は、訳として世に出すべきではない」と。


パレルモストーンは一級の史料であるから、後にさんざん引用されるのである。


誤った訳よりも、いい加減な訳のほうを、私は警戒する。


私の持つ考えは、パレルモストーンがかなり正確な記録を企図しているというものだ。今でいうと理科年表のような。あれは、そもそもナイルの水位を把握したくて作ったものだ。潮位記録のようなものであり、年代を正確に記録するために、その年にあった特徴的な事象を記録している。

そもそもパレルモストーンが年代記であるということからして疑問だ。年代記にしては、内容が少ない。

あれは、ナイルの水位を全力で調査させたもので、どちらかといえばデータ屋の仕事にしか思えない。

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