ピラミッドは考古学か歴史学か [つぶやき]

私は某国立大学で歴史学を専攻していました。

ですが、当時のことと、現在やっていることは、ほとんど関係ありません。






ただ、「これはヒエログリフだ」とテキストを探してしまいます。



古代エジプトは考古学の独壇場のように思われているかもしれませんが、

シャンポリオンのおかげで、歴史学の踏み込む余地が生まれました。



第三、第四王朝のテキストは少ないものの、

私は初期王朝時代のラベルやパレットの読み下しを

ヒマがあればやっています。



ヘロドトスのヒストリアエは、紀行文として捉えていて、

参考にはできないと考えています。



私が、いつも大事にしていることは、

「一般常識」です。

ただし、「現代人の常識」ではないですよ。




たとえば、「おじいさんは、若者よりも体力不足で、ランニングは苦手」

セド祭の走行儀礼について考えるときは、そういうことを大切にします。



たとえば、ナルメル王のメイスヘッドのガゼルの囲いの下の波線。

「王の祭儀に使用するメイスに無駄な線など入れない」

そう考えます。だから、波線には意味があるはずだ、と考えました。



たとえば、ピラミッドのブロックの引き上げ方法。

「傾斜路を上ると、自分の体重を持ち上げることにも多大なエネルギーを使ってしまう」

と考えました。



そうやって「一般常識」を大事に考えていくと、

考古学者の見立てや発想が、

発掘された遺物や、似た遺構、似た文化様式などからスタートしているように見えます。



私の少ない経験では、

エジプト考古学者は、ちょっと一般常識が・・・

と感じることが多いんですね。

正直、解釈力に難あり、です。



たとえば、セド祭はどうしてセド祭っていうのか。

これ、私にとっては大問題で、

じつは、かなり時間を費やしたんですが、

そういうことには、どうやらあまり時間を使わない。



ピラミッドの謎とセド祭、

かなり近いところにあるんじゃないか、

そういう発想はあんまりないようです。



掘ったりスキャンしたり、他人の論文読むのに一生懸命で、

一般常識をあんまり使わない。







だからダメなんだよ



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