古代人だってピュアではない [つぶやき]

単純な話、みなさんは本当にあの世を信じてますか?


まあ信じている人もいるだろうし、いない人もいる、といったところでしょう。


では、古代エジプトではどうだったと思います?

なんとなく、みーんな死後の世界を信じていたっぽく語られますよね。


私たちも、死ねば葬儀の儀式や儀礼がとりおこなわれるのですが、じゃあ丸々信じているかと問われれば、それは別の話。

葬祭には、現世のメリットがあるんですよね。例えば古代エジプトですと、カーは食べ物を食べるんです。

「あなたのカーのために」など言いながら祝宴にあずかる。つまりカーは生命の原点として、生きていても死んでいても存在する。

その論法は、即ち、継続的貢納を要します。死者に捧げられた食物は、そのまま腐らせたでしょうか?

いえいえ。うまくできているもので、死者は「食物のカー」だけを食べるので「食べ物の抜け殻」は、おいしいうちに葬祭管理団体が召し上がる。

貨幣経済ではないので、富とは穀物や家畜、油や酒の入った壺なんかなんですね。

ウンム・エル・カブなどからは大量の食器が出てきました。


つまり、宗教的儀礼や神話は、そこから始まった影響だけでなく、逆こそ考えねばならない。


現世御利益が宗教儀礼を充実化させ、神話を変えていくんですね。


現代と違うのは、王権と宗教、政治体制と宗教が未分化だということです。

文字や数学を解するエリートは、一方で宗教にも通じている。


決してピラミッドは王の思いつきだけで造られたのではなく、官僚たちの影響もあって造られたわけです。


もし王が強大かつ独裁であったなら、わざわざあちこちの伝統儀礼を守ることもありません。


ヘロドトスの影響もあってクフ王は強大な勢力を持っていたように思われていますが、強大でないからピラミッドを大きくしなきゃいけなかったのかもしれません。


「大人の事情」めいたことが古代になかったというのはおかしな話で、古代人がピュアでなかったことは、受け入れなくてはならないでしょう。

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